■ 山賊の博物館 ■
三澤 康彦

MUSEO HISTÓRICO POPULAR DEL BANDOLERO
Calle Arminan, 65
29400 Ronda
Tel: 952 87 7785

春・夏 10,30 H. - 20,30 H.
秋・冬 10,30 H.- 19,00 H.
http://www.museobandolero.com/

 

山賊の博物館 ロンダで 1

先年、ロンダにある「山賊の博物館」(Museo del Bandolero)を訪れた。1995年5月に開館したこの博物館は、ロンダではまだ新しい方に属するが、ここにはかってこの辺りで活躍した、まさに歴史に残る名だたる山賊達の“業績”が展示されている。内部は6部屋ばかりでさして広くもないが、アンダルシアの山中を馬車が走っていた頃の山賊の隠れ家や“活動”の様子が良く分かり、また個々の山賊に関する資料も沢山あって楽しかった。ただ私が予想していた、当時の馬車のルートとか運ばれた荷物の中身とか、おもにどういう人達が馬車を利用し、山賊達が狙った一番のものは何かといった資料展示が無いのが残念であった。1階を見終わった後は2階でビデオを見た。古い時代の無声映画のような映像で、当時の風景や人物が登場し楽しい時間を過ごしたが、彼等は何故このようにもてはやされているのであろうか・・・
数多い山賊の中でも最も有名なのはホセ・マリア・テンプラニージョ(José María Hinojosa“Tempranillo”)であろうと私には思える。彼は1805年の生まれで、青年時代にふとしたことから人を殺め、それから山賊稼業に身を転じた。テンプラニージョというのはtemprano(早い)というスペイン語から転じて“早業師”という彼につけられた綽名で、神出鬼没の行動と、どうやらもう一つ、彼の行為が弱きを助け強きを挫く(といっても、貧しい旅人に自分の馬を与えると、その後富裕な家を襲って馬を奪う)というような面を持っていたために、人々の間でもてはやされたようである。彼が死んだのは1833年、短命であった。知人のスペイン人も、彼を語る時は目を輝かして彼は義賊だと言っていた。私には彼はまさに日本の鼠小僧次郎吉のように映るのだ。
 テンプラニージョが生きた1800年代の前半は、一部で鉄道が敷かれつつあったものの、国内交通の主要手段は幌馬車であり、しかもアメリカの西部大平原とは異なり、スペインのここら辺りは起伏の多い所が続き、山賊の出没にはまことにもってこいの地形であった。それにカディスを初め港で陸揚げされた諸物資がマドリッドなどに運ばれる通路として、馬車がロンダ周辺の山野を駆け抜けて行くのも、彼等にとっては絶好の標的であった。

山賊の博物館 ロンダで 2

マラガで語学校に通っていた時、教師から「ホセ・マリアをどう思うか」と名指しで訊ねられた。“え!テンプラニージョのことかよ”と一瞬躊躇っていたら、前の席のロシアの女性が「アスナール(当時の首相)のことよ」と言ったので、思わず「彼はまぬけだ」と言ってしまった。それにしてもスペインの山賊は当時のヨーロッパでもかなり有名だったようで、「カルメン」の著者フランスのプロスペル・メリメは1830年にスペインを旅行した時の様子を次のように語っている。

 「昔から山賊で知られているアンダルシアを数か月間さんざん歩きまわって、そのたったの一人にも出喰わさずにマドリードに戻ってきました。まさに恥じ入るしだいです。山賊に襲われるのを覚悟していたのでして、身を防ぐなどという気はさらになく、彼らと話し合い、その暮らしぶりをごく丁寧にたずねてみたかったまでです。」 「スペインにおける山賊の手本、街道筋の典型的な英雄、スペインのロビン・フッド、現代のロック・ギナールこそ、かの名高い、俗称〈早起き〉と言われているホセ・マリアです。その名はマドリードからセビーリャにかけて、セビーリャからマラガにかけて鳴り響いています。これが山賊かと思われるほどの美貌と勇敢さと礼儀の持主、これがホセ・マリアその人なのです。」(「スペイン便り」メリメ全集 第1巻所収)

これらの聞き書きの中には「セビーリャの乗合馬車がカルロッタの近くでつかまって」とか「マドリードの一人のおしゃれの青年が、ロンドンから取り寄せたきれいなシャツを二ダースほど持ってカディスへと向かったのです。山賊がカロリナ付近で彼を襲い、あり金残らず奪ったあげく…」といったように地名を記したものも見られ、内容も具体性に富んでいる。「カルメン」の主人公ドン・ホセのモデルはホセ・マリア・テンプラニージョだという人もいるが、私が博物館受付のお姉さんに問うたところ、彼女はその点に関しては、はっきりしたことは言えないと、どちらかといえば否定的なようであった。

山賊の博物館 ロンダで 3

メリメより30年後にこの地を旅行した、これも日本では童話作家として有名なデンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805年生まれ)はその旅行を「スペイン紀行」(「アンデルセン小説・紀行文学全集 10」)として著した。その一部を見てみよう。
 「フランスのペルピニャンで鉄道の路線は終わったが、ここからはほんの数時間の旅でスペインに入る。しかし、この旅の途中については身の毛もよだつような話を耳にしていた。駅馬車は、まさに拷問台にも等しいという。それは大型の重々しい乗合馬車で入口は片側に一つしかなく、だから馬車が転覆したら外に逃れることができない。しかも、しょっちゅう転覆するということだ。また、その国ではプロテスタントは軽蔑され、異教徒同然のひどい仕打ちを受けるという。
 また、絶えず盗賊に襲われる危険にもさらされており、食事はといえば、とても食べられるような代物じゃないという。そうだ、私が耳にし、本で読んだのはそういったことで、私はこれからそのすべてにぶつかっていくのである」
 アンデルセンがスペインを旅行したのは1862年で、彼も書いているように当時地中海沿いのルートからスペインに入るには海岸を南下してきてピレネー山脈に近い「ペルピニャンで鉄道の路線は終わった」のであり、そこからは馬車でラ・フンケラ、フィゲレス、バスカラ、メディーナを経てヘローナに至った。その交通手段は馬車と鉄道と船で、この時期になると鉄道がかなり敷かれてきていた。アンダルシアで馬車を利用しているのはマラガからグラナダの往復と、コルドバからデ・ムデーラの間であり、先述のメリメが書いていたカルロッタはコルドバから南西に30キロほど下った所にある小さな町であり、カロリナはデ・ムデーラのやや手前で、アンデルセンの時代でもまだ鉄道が通っていなかった。そしてアンデルセンも盗賊について触れている。

「現在、マラガからグラナダに至る駅馬車がたどる道は、かつて馬でベレス=マラガやアルハマを越えていった旧街道よりも長い。かつてこの道は非常に物騒だったので、人々は武装し、大群のキャラバンを組んで旅した。単独で行く人たちは、この道をなわばりにして道の状況や辺りの地理を知り尽くしている盗賊たちに話をつけておいて旅するのが一般の習わしだった」
 「セビーリャからコルドバまで旅行するのには、駅馬車か馬でしか行けなかった一昔前には、道はヘニル河のほとりの、酷暑で知られるエーシハを通っていた。――中略――その旧国道は評判がよくなかった。同胞の話では、彼らが盗賊に襲われたのはたいていその路上である。つい数年前にも、建築家のメルダール教授がこの路上で襲われて略奪されている。盗賊は教授のスケッチブックまで取り上げてしまった。『そいつを返してくれ』と、この私たちの同胞は叫んだ。『そいつはおまえらには一文の値打ちもないが、私には非常に大事なものなのだ』。すると、それを奪った盗賊は、礼儀を尊ぶスペイン精神にもとることなく返してくれたという」

山賊の博物館 ロンダで 4

こうしてみるとメリメとアンデルセンの旅の間にある30年の違いが、鉄道の普及などにあらわれているが、それにしてもまだ山賊は山間部などで活動していたことがよく分かる。
余談になるが数年前にアラメダ通りの一角にアンデルセンの銅像(写真)ができた。かばんからはアヒルが顔を出しているのが可愛らしい。アンデルセンの前掲書には当時のアラメダ通りの様子も詳しく書いてあり、まさにアラメダの名を髣髴させる。 
 

さて博物館では、受付のお姉さんに私が持参した『ホセ・マリア伝説』(永峰清成著)の本などを見せてしばしの会話を楽しんだが、その間客は私どもだけであった。同書によれば「当時ロンダ山系の山々の間には、山賊どもが数多く横行していた。といってロンダの町そのものに、山賊たちが集結していたわけではない。ロンダはそういう意味では、山賊の町というよりも、むしろ密輸業者たちの町だったのだ」ということで、山賊達がここに住んでいたという訳でもない。

ただ私が興味を感じたのは、博物館には山賊達の棲家或いは隠れ家なるものが展示されており、それらが大変に狭いことであった。彼等の身なり服装は如何にもダンディーであるが、1で紹介した写真にも見られるように、壁にぶら下がっているにんにくや、ソーセージ、とうもろこし等は貧しいものであり、これが山中の一時的な場所だとしても、沢山の財宝を奪ったのはよいがそれらをどう生活に活用したのか、これではリラックスも出来ないのではと思ってしまった。
一つの町全体が山賊の支配下にあったとすれば、彼等の住居もそれなりのものであろうが、いずれにせよ山賊も盗賊であり、洋の東西を問わず、それらは歴史のひとこまに存在した異端の群像なのだろう。

© 2003-2008 Costa Amigos
当サイトの記載内容の無断転載、転用は禁じます。
当会に関するお問い合わせはこちらまで。
e-mail: costaamigos@gmail.com